忍者ブログ
未選択(24)     日々(301)    
  2025/02  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28   
02.03
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

03.21   comment (0)
誕生日~。
しかし通年のことながら誕生日の前後にはろくなことが起こらないジンクス。
だいぶ前に見たなんかの雑誌に、誕生日付近のバイオリズムって乱れやすいとかなんとか書いてあったのを毎年思い出します。今年は当たり年かなんかなんすかね。そんな当たり年いらねーから。
そんで自分の誕生日が来るということは母親の命日も一緒にやってくるわけですね。奇しくもハワードの誕生日が命日。そんでその前日が私がオギャーと産まれた日。みつるの日ですね。
なんつーか、変な因果だなあと思いつつ。毎年どんな心構えで迎えればいいのか迷って答えは出ません。よく同情もしていただきますが、正直母親の一切の記憶もないので逆に申し訳なくなる始末。一歳までの記憶をストックできるような性能もなかったので。まあそれで卑屈になってもいられないので、そりゃ昔はなったりもしましたがね。
生死をいやがおうにも考えさせられる時期。
誕生日ぐらい素直に~とか思いたいが別にもう誕生日が嬉しい歳でもないからまあいっか。
でもやっぱ3月は好きじゃない。春は頭のネジが緩みやすい。
いつになっても大人になれませんよ。産まれた時から死ぬまで、人は一生子供だと思います。言葉と形で定義する大人はあるとしても、本能に殉じて生きる動物にかなうほど完全にはなれない。人は言葉を得て何かを忘れた、とはよく聞きますが。少佐が言っていた、高度な文明化の果てにある緩やかな死というものの縮図が戦争にあたるのかもしれない。集団的無意識が独り歩きをするなんてことは、実は当たり前のように昔からあったことのようにも思う。


なんて小難しいことを言ってはみても、要約するとあんま中身ないとかいう。
春は嫌ですほんと。
季節のせいにでもしていないと脳みそが融点に到達してしまうんですよ。沸点はとうに過ぎています。
死を否定とすることに疑問はあるし、メメント・モリなんて言葉もあるわけで、だから死は確かにそこにあり生命の終わりから生まれる礎。だからロックオンのあの最期は本当に人間臭くてよかったと私は思います。死んでよかったということではありません、でもこれで死んでなかったら納得できないとこもあるんですよ。アリーに死が訪れない、または死に変わる過酷な咎が下されない終わりだとしても納得いきません。
覚悟を知る瞳は本来の輝きが見えるような気がするんですよ。野生の獣に見るような、あの美しさ。
戦争を美談にしろということではないけど、失わなければ知ることのできないものを二次元という世界で疑似的にも感じさせてこそのアニメと私は思っているので。
最終話に向けての不安と期待とでだらだら書いてしまいました。まあそれだけじゃないですが…クソみたいな脳みその私でもそれなりに生死を考えたりするんですよ。今の社会には厭世的な風潮がありますけど、生命の本分を考えるとペシミスト気取っても何にもならないなと。
だからといってどうすればいいのかなんてわかるわけもないんですがね。
本能に鈍感な分だけ考えろ、みたいな超個人的プロパガンダ。
私の精神世界もまだまだ狭いっちゅーことですね。マモーみたいな巨大な脳みそでもあればもうちょい理知的な事言えたかもなーなんて。


PR
comment to this article
name
color
URL
text
pass    
prev  home  next
忍者ブログ  [PR]